ここ近年ではあまり耳にすることが少なくなりましたが「スパルタ教育」という言葉を聞いたことがある人は多いかと思います。
「スパルタ」は古代ギリシャのポリス(都市国家)のひとつでした。
更に「スパルタ教育」は、厳しい教育や厳しい訓練をすることをいいます。
それでは、スパルタ教育の語源はどこからきたのでしょうか?そして、実際に実際に厳しい教育や訓練をさせられていた子どもたちがいるのでしょうか?
都市国家スパルタの住民
冒頭でも書きましたが「スパルタ」は、古代ギリシャの都市国家のひとつであり、ドーリア人の一派のスパルタ人がペロポネソス半島南部に建設しました。
スパルタでは、少数のスパルタ人を支配階級に沢山の「半自由民」と「奴隷」を支配していました。
半自由民(ペリオイコイ)
市民と奴隷の中間的身分であり、自由の身ではあるけども、スパルタでの参政権や市民権はありません。
ただ従軍義務だけがあり、戦争が起これば戦地に行かなくてはなりません。
奴隷(ヘイロータイ)
スパルタ市民の所有物であり自由はありませんでした。
そのような扱いだったために不満が積もり、度々反乱を起こしましたが…スパルタ人に武力で鎮圧されていました。
幼少期から厳しい訓練をさせられていた
スパルタは軍国主義的政治体制の国家であり
- 勤倹(勤勉で倹約)
- 尚武(武事・軍事を重んじる)
をモットーとし、幼少期から兵士育成のために厳しい軍事訓練や教育を課せられました。
更に「スパルタ市民は強くならなければならない」と、リュクルゴスという人物が考案したのがスパルタ教育だそうです。
また、スパルタでは老衰で亡くなることは恥であり、称賛される死に方は戦死だったようです。
スパルタ人の子どもは国家のもの
スパルタ市民の赤ちゃんは、まず集会所へ連れて行かれ検査を受けます。
なんの検査かというと、弱点がないかの検査です。健康児か、軍人となって足を引っ張らないか?など調べられたそうです。
そこで不合格となった赤ちゃんは、タイゲトス山麓のアポタテイという穴に落としてしまいます。それは王様の子でも同じだったそうです。
つまりそれは、スパルタ人の子どもは親のものではなく、国家のものという意味を示していました。
見事検査に合格した赤ちゃんは、7歳から家庭を離れ他の子ども達と共同生活を送り、成人とされる13歳からは厳しい肉体的訓練を受けさせられます。
このような厳しい訓練から「スパルタ教育」と呼ぶようになったようです。
スパルタ教育の内容
スパルタでは、暴力やいじめが認められていました。
「如何なる不条理にも、くじけない強靭な精神を養う為の修業」と考えられていたようです。
更に教師は常にムチを所持し、厳しい態度で教え子を指導していました。
ただ、教師も教え子に対して理不尽なことをしたら上官に罰せられることになっており、大人にも子どもにも厳しいのがスパルタ教育でした。
13歳で成人の儀式
13歳になると、成人の儀式が行われるようになります。
- 短剣1本だけを持たされて街を追放される。(食料も服も没収させられる)
- 奴隷から食料や服を奪って生活をすることを余儀なくされる。
- 生活用品は、自分で全て用意する。
以上の生活を1年間耐えることによって、一人前の成人として認められます。
まとめ
「スパルタ教育」とは耳にしていた言葉ですが、古代ギリシャの過酷なスパルタ国家から生まれた教育だったのですね。
現代では考えられないほどの厳しい教育であり、暴力もいじめも認められていたというので、嫌でも精神が鍛えられたことでしょう。
13歳で成人とされ、短剣だけを持たされて1年間も盗みながら生活することにより一人前と認められるわけですが、まだ10代半ばで過酷な経験をして、どんな人格として形成されているのでしょうか。
古代ギリシャのスパルタの市民は、母親は、どんな思いで我が子を見送ったのでしょうか…。
いつ、どの時代でどこの国に生まれるかによって人生が決まってしまうので仕方ありませんが、当時スパルタ市民として生まれ、自由もなくスパルタ教育を受けるしかなかった子どもたちを不憫に思います。