今では普通に使われている「馬鹿」という言葉
どうして馬と鹿なんだろう?
馬と鹿に失礼だよね…
どうして馬と鹿なのか?
「馬鹿」という言葉の由来については複数の説があり、確定的なものはありません。以下にいくつかの説を示します。
当て字
「馬鹿」とはもともとは2つの漢字「馬」と「鹿」を組み合わせた当て字で、特定の意味を持つ言葉を避けて表現する方法とされています。
これは音や意味を直接表現せずに、言葉の本来の意味を隠すために使用される方法です。
何も知らない人という意味
古代中国の文章である「韓非子」にある「馬羊之畜也、其知有所騁鹿。」という表現が由来とされることもあります。
これは
「馬や羊のような家畜でも、何かを好むことを知っている。鹿のような野生の動物でも、何かを恐れることを知っている」
という意味で、この言葉から「馬鹿」は「何も知らない人」という意味で使われるようになったとも考えられています。
馬は煩悩、鹿は愚かさを象徴
「馬鹿」の表現は元々は仏教用語で「馬」は煩悩、「鹿」は愚かさを象徴するとも言われています。
これは「煩悩に取り囲まれて愚かな行動をとる人」を指す表現として、そのまま「愚かな人」という意味で用いられるようになったという説もあります。
他には「馬」と「鹿」がそれぞれ「無」と「覚」の音を転訛したもので「無覚」(知識や意識がない)を意味するという説も存在します。
忠誠心を確かめる方法
中国の始皇帝、すなわち秦の始皇帝(嬴政)は紀元前210年に亡くなりました。
彼の死後、息子である胡亥が秦二世として王位を継承しました。しかし、胡亥は非常に若く、その統治の実権は彼の師であり首相でもあった趙高(宦官)が握ったと言われています。
宮殿の外で反乱がおきたとき、趙高は部下たちが自分の言うことを聞くか聞かないかで試した方法がありました。
趙高は忠誠心を試す会と題して、鹿を連れてきました。
そして「これは馬です」と紹介して、それを「それは鹿ですよ」と指摘した者を処刑したとされています。
あまりにも愚かな行為ということで「馬鹿」という言葉が作られたという説もあります。
阿呆という言葉も同じタイミングでできた
これは、上記の忠誠心を高める方法と関連があります。
初代始皇帝が長安の西北阿房に建設した巨大な宮殿がありました。その名を阿房宮といいます。
70万人の罪人を使い工事を行ったとされています。しかし、まだ建設途中で始皇帝は死亡します。
後に反乱で宮が焼かれ、あまりにも大きすぎたために3ヶ月燃え続けたとされています。
長い年月をかけて建設したのに、あっけなく燃えて何の意味もなかったということで、阿房から阿呆という言葉に変わって、今に至る…という説があります。
まとめ
「馬鹿」という言葉には、上記のように色々な説があります。
しかしこれらの説のどれも完全に証明されているわけではないので、どれが真実かははっきりとは分かりません。
漢字は中国から伝来したのもあり、もしかしたら始皇帝の時代のことが関連している可能性も高いような気もしますね。
「馬鹿」という表現は「愚かな人」を指す言葉として使われていますが、なるべくなら言われたくもないし、人にも言いたくない言葉ですね。