「火垂るの墓」は1988年に公開された戦争を題材にした映画です。
その宣伝ポスターは、兄と妹が笑顔で蛍に囲まれているという微笑ましい様子が表現されていますが、実際は全てが蛍ではないという情報を聞いて、画質を変えて検証してみた方がいるそうです。
結果はどうだったのでしょうか?
「火垂るの墓」とは
『火垂るの墓』(ほたるのはか)は、野坂昭如の短編小説で、野坂自身の戦争体験を題材とした作品である。
火垂るの墓 wikipedia
兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くし、引き取り先の叔母と険悪な仲にあった14歳の兄と4歳の妹が、終戦前後の混乱の中を兄妹で独立して生き抜こうとするが、結果誰にも相手にされなくなり栄養失調で無残な死に至る姿を描いた物語。
兄妹の愛情と戦後社会との狭間で、蛍のように儚く消えた2つの命の悲しみと鎮魂を表現している。
1988年に、スタジオジブリ制作で高畑勲監督の長編アニメーショとして映画化されて話題になりました。
戦争中、必死で生きた兄妹
上記でも書いてあるように、原作者の実体験を元にして作られた作品です。
アニメーション映画を制作した高畑勲監督の意図としては「お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」と述べています。
以下は、アニメーション映画の内容です。
空には戦闘機B29が飛んでおり、避難しようとする母と清太、節子のシーンから始まります。
元々心臓病を患っていた母が亡くなり、清太と節子は親戚のおばさんに預けられます。しかしそこでは、厄介者扱いをされて居心地の悪い日々を送る事になります。
そこで、清太は節子と2人で暮らす事を提案します。
2人きりの生活は、誰にも気を使わず楽しいきままな暮らしでしたが、さすがに子ども2人きりで生活していくという事は厳しい状況でした。
結果、節子が栄養失調から亡くなります。そして、その後清太も駅で1人静かに亡くなります。
最後まで決してハッピーエンドになることはなく、ただ過酷な戦争時代を生き抜こうとした兄妹の悲劇の話しというのがわかります。
微笑ましいシーン
最後まで悲しい物語ではありましたが、途中微笑ましいシーンがありました。
親戚のおばさんの家を出て、2人で池近くの防空壕で住み始めました。
2人きりでの生活が始まり、おばさんに嫌味を言われることもなく、毎日自由に過ごすことができ、節子も笑顔を見せるようになりました。
蛍を真っ暗な部屋で放し、綺麗に輝く蛍を嬉しそうに見る2人のこのシーンは印象的でした。
戦争中という過酷な日々を忘れさせてくれるような、唯一微笑ましくて素敵なシーンです。
この時の2人の微笑ましい様子が、後に映画の宣伝ポスターに描かれたのかもしれません。
ポスターの真実
上記したように、宣伝ポスターは清太と節子が蛍が飛び交う中で楽しんでいる様子が描かれていました。
しかし映画が放映されて30年たった2018年「飛び交っている蛍は、実は全てが蛍ではない」という事を聞きつけた方が、画像解析をしてある事実を知ったそうです。
宣伝ポスターの黒塗りでよく見えなかった部分には、空爆を行なっている戦闘機B29が浮かび上がっており焼夷弾を降らせている構図がありました。
タイトルの「火垂るの墓」は、蛍をもじったわけではなく「火(焼夷弾)が垂る(降り注ぐ)の墓(遺体の山)」という事を表していることが判明したとのことです。
微笑ましい兄妹の描写の裏には、悲しく残酷な戦争の恐ろしさが表現されていたのです。
まとめ
このような内容の作品は、賛否両論あるかと思います。
清太と節子は、2人きりの生活を求めて大人や社会と離れ、孤立した生き方を選び最終的に亡くなります。
おばさんの家に預けられた時は、小言を言われて居心地が悪かったかもしれませんが、おばさんの立場からしたら自分の子どもを優先するのは仕方ないですし、おばさん自身もお米を食べずに節制していたと思われます。
おばさんの行動や態度を責める人もいるかと思いますが、当時の配給だけで生活しなくてはいけない上に、他人の子も食わせていかないといけない。
自分がおばさんの立場になってみたら仕方がないのかもしれません。
その事よりも、この作品はただ戦争の悲惨さを訴えたかっただけの作品ではないようにも思えます。
現代の人にも言えることですが「社会から孤立すると結果的に苦しむことになる」というメッセージが込められているような気もします。